「この事業は赤字になってでも続けなくちゃいけないと思っているんです」。数日前、ある大手企業でタンカを切ってしまい喝采を浴びた。
しかし今、自分の発言に迷いがある。
こんなことをしなければもう少し精神的にも物理的にも余裕がある暮らしができるだろう。周囲に迷惑をかえることもないのかもしれない。忙しさ故に失われている信用もたくさんある。文化や国際交流なんて、純粋に思っていても成立しない。つまりは「お金にならない」ってことだ。
スポンサーを得られたら得られたで、今度は速攻性のある「数値目標」が課せられる。
文化や芸術なんてそもそも抽象的なものだし、どう数値化するのか。とはいえ、当然、何か目安がなければ測れないから数値目標を課されるのも当然だ。文句をいうのも筋違い。
冒頭の発言は、「日本人が生き残る道」について語りあっていた。
タイ、ベトナムに滞在し、できる限り現地の企業を訪問し、現地の人と話をした。工場を見れば衛生的で最新の機械が導入され、人々は勤勉。人材管理もセキュリティも万全だ。街を見れば素敵なデザインにあふれ、急速に便利になっている。さあ、日本はどうしよう。日本人ですらこだわりより価格を重視している時代なのに、日常生活でそこまでを必要としていない人に、その先を上回るサービスや品質を理解してもらうには、とことん丁寧に伝えるしかない。
欧米志向の私が10年前、ふと日本の片田舎の田園風景に魅力を感じた。世界が近代化する中で、この四季のある自然はなんて貴重なんだ!
この風土から食材や民芸品が生まれてきた。
この環境を守らなくちゃ、生き残れない。。。勝手に抱いた危機感に焦り、どうやって伝えるか、と考えて立ち上げた雑誌。
雑誌を通じて出会った人と自然に話す中でダイレクトプロモーション=イベントだったり。
何万人を集めるかではなく、何人に理解してもらうのか。
経済至上主義や数値成果と相反する理想だけでは、時代や社会の流れに逆らっているだけ。このままでは、何も変わらずただ周囲に迷惑をかけ自滅するだけなのかもしれない。。。老体にむち打ち、貧しい自分が小さな力で何かしたところで空回りするだけで、何も変わらないのかな、と思いはじめてきた。
ただ、間違いなく、一人二人ではなく、同じような考えで同じような危機感を抱き、共感する人も増えている。しかもそれがこんなことをはじめなければ出会えない人だったりする。